教科書は「仁徳天皇陵」ではなく「大仙陵古墳」。

中国の秦の始皇帝陵やエジプトのピラミッドなどと並んで「世界最大級の墳墓・遺跡」とされる「大仙陵古墳」は、一般には今なお「仁徳天皇陵」(仁徳御陵)として知られる。


全長486mで、ちなみに第2位は大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)で全長420m。採集された円筒埴輪や須恵器の特徴から5世紀前半から半ばに築造されたとの説が有力である。築造時期が5世紀中頃〜後半まで下れば仁徳天皇の治世に近づくが、その見方は困難とされる。


宮内庁管理のため陵域内への自由な立ち入りや学術調査は許されておらず、考古学的には、仁徳天皇陵とする根拠はないとの見方が主流。実態は宮内庁書陵部治定による「伝」仁徳天皇陵でしかない。百舌鳥古墳群に属し「大仙(大山)古墳」ともいわれる。


記紀」「延喜式」などの記述によれば、百舌鳥の地には仁徳天皇反正天皇履中天皇の3陵が築造されたとされる。宮内庁の公式見解では、上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、田出井山古墳(反正天皇陵)がそれに当てられている。


2008年、この「仁徳天皇陵」を含む百舌鳥古墳群古市古墳群が、ユネスコ世界遺産の国内暫定リストに追加された。