明治維新期における日本史上の「改革」観。

明治時代に始まる国家主義歴史観が重要視したのは、大政奉還・王政復古の正当化であり、その「準拠枠」として機能したのが、「大化の改新」であり「建武の中興」だった。とくに、明治40年代に入って「南北朝正閏(じゅん)論争」が展開され、後醍醐天皇南朝の正統性が強調されるようになり、逆に、蘇我氏足利尊氏の「逆賊」イメージが広まった。


「論争」は、両統並立論をとる国定教科書に対する帝国議会野党などの批判に押されて、南朝正統論が帝国議会で決議される結果に至った。ただし、三種の神器」の保持を重視した南朝正統論も、最終的に、北朝に神器所有が移った「明徳の和談」や、北朝(=現・天皇家)正統論を否定するものではない。天皇家や公家・貴族が北朝方の末裔であることは言うまでもない。


戦後は、「吉野朝」にかわって「南北朝時代」の呼称が復権するとともに、蘇我氏&尊氏評価も回復し、楠正成=「悪党」論も流布。網野善彦らによる南北朝時代の研究が読まれ、「建武の新政」にも新しい解釈が加えられている。なお、建武の「中興」とは皇国史観にもとづく用語で、「建武の新政」のほか「建武政権」という表現も流布しつつある。

【今後の参考文献】
小島毅靖国史観─幕末維新という深淵』ちくま新書
森茂暁『建武政権後醍醐天皇の時代』教育社歴史新書
同『後醍醐天皇 南北朝動乱を彩った覇王』中公新書
同『南朝全史 大覚寺統から後南朝へ』講談社選書メチエ
同『太平記の群像 軍記物語の虚構と真実』角川選書