『神皇正統記』から「皇国史観」へ。

南北朝時代、幼い後村上天皇に対して吉野朝廷(南朝)の正当性を教え伝えるために、北畠親房が著した歴史書後醍醐天皇崩御直後の1339年(延元4・暦応2)の秋ごろ、常陸国小田城(つくば市)で執筆したとされる。


北畠親房は、後醍醐天皇の側近として建武の新政に参画。伊勢で南朝勢力の拡大を図る過程で、度会家行の伊勢神道と「神国思想」の影響を受けた。その後、常陸南朝勢力の拡大に努めたが、吉野に戻り賀名生で没。指導的人物を失った南朝方は以後、衰退・和睦への道をたどった。


天皇と公家(摂関家村上源氏)が日本を統治して、武士を統率していくのが理想の国家像とされ、『大日本史』・水戸学は『神皇正統記』を高く評価し、後の皇国史観にも影響を与えた。北朝に対抗する親房は、皇位継承の条件として、三種の神器の有無、血統、徳治を主張し、承久の乱を引き起こした後鳥羽上皇が批判される一方、北条義時・泰時は、かえってその後の善政が評価された。


皇国史観とは、万世一系天皇家が日本に君臨し、そうした天皇に忠義を尽くすことが臣民たる日本人の至上価値だとする歴史観。『神皇正統記』がその先駆例とされ、江戸時代の水戸学や国学、幕末の尊王攘夷運動によって思想的・政治的影響力が強まり、明治維新後、正統な歴史観とされるようになった。


明治政府の政策や明治期の言論界・学界は、学問の自由と皇国史観のあいだで揺れ動いたが、戦後歴史学では古代史や考古学の研究が進展。他方、近年になって「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)などの「歴史修正主義」が一時活発になった。

白山芳太郎『北畠親房の研究』ぺりかん社
伊藤喜良『東国の南北朝動乱 北畠親房と国人』吉川弘文館(歴史文
化ライブラリー)
永原慶二『皇国史観岩波ブックレット
昆野伸幸『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』ぺりかん社
長谷川亮一『「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部
省の修史事業と思想統制政策』白澤社